2009/05/09〜10  伊豆の渓にて

白泡の上を、二匹の蝶がじゃれ合いながら舞っている。
まるまると太ったハチは柔らかな空気を蹴散らして飛び、落ち葉の下ではサワガニの子が手招きをしていた。
渓流脇にどっしりと構える大岩を、抱きかかえるように根を張るブナの巨木。
その下のヒラキにミノーを投げると綺麗なアマゴが釣れた。
伊豆という地名から連想するものは海である。
少なくとも僕の中では渓流という言葉が上位にくることはない。
今回T氏の紹介でここを訪れなければ、こんなにも濃い自然を満喫することはなかっただろう。




変化にとんだ渓相が延々と続き、数キロ釣り上がるだけで僕はヘトヘトになった。
平らな岩の上に寝転がり、大の字になって空を見る。
複雑な渓谷にあっても頭上の風景は意外にもシンプルだ。
新緑の木々が大空をくすぐり、ゆっくりと綿雲が流れてゆく。
互いに引き合い、そして千切れ行くその様は人の出会いと別れに似ている。
シュッ!
ロッドが空を切る音。
どうやら、後続のN.K氏が追いついて来たようだ。





「この淵で2尾もバラしました、カタキを取ってください」
それを聞いた彼の期待あふれる笑顔はいい。
しっかりと足場をかため、流れ込みに向かってルアーを投げる。
プルプルプル、すぐにロッドが反応した。
白い腹のくねりが彼の足元に近づいてゆく。
「釣れました!」
初夏のまぶしい日差しの中で、アマゴを手にニッコリ笑う少年のような顔。
その笑顔を我々はしばらく見ることができない。
彼は仕事の都合で遠い街へ行ってしまう。
今回は、その送別旅行も兼ねているのだ。




二日目の朝、4時起床。
酒の抜け切らない身を這うようにして布団を出る。
昨日も釣り、宴会の話題も釣り、朝食前にも釣り、
そして宿を出た後にもまだロッドを握っている。
この川には体力がある。
魚影の豊かさは、複数人で釣り上がるにも十分なほどだ。
そこで今日はTABO氏と琉空氏を加え4人で行くことにした。
途中、林道脇にある小さな売店に寄る。
昼食用に何か買おうと棚を眺めるが、パンもオニギリも置いていなかった。
しかたが無いので「久ちゃん饅頭」と「ヨモギ団子」を買う。





特に順番を決めることなく4人で自由に釣り上がる。
扇形の開けた落ち込みには琉空氏が立っていた。
魚が何度も追ってくるのだろう、彼は幾度となくキャストを続けている。
やがてジーというドラグの音が聞こえた。
右へ左へ移動している。
周囲に漂う緊迫した空気。
「外れないでくれ」という思いで彼は必死に違いない。
一方、僕は「おっ、おっ、いけ、いけ!」などとヤジを入れつつ見物する。
ギャラリーとは気楽な者だ。
ところがネットインした瞬間にそれは大きな羨みに変わる。
「いいなぁ・・」などと呟き、かっこいい良型アマゴを僕は人差し指でチョンとつついた。




高低差のある滝からダイナミックに落ちる水。
周囲には霧状のしぶきが舞い、その一粒一粒が細かい光を発している。
木漏れ日が垂直に注がれる頃、我々は空腹で動けなくなった。
「久ちゃん饅頭」と「ヨモギ団子」の封を切り、手づかみで食らいつく。
水分の不足した口の中をベッタリと張り付く餅。
それをペットボトルの水で一気に流し込むと、甘いヨモギの香りがした。
これがN.K氏と最後の食事、今後しばらく会うこともないだろう。
九州の渓流とはどんな所なのか。
そしてどんな魚が待っているのか。
新しい川を開拓する度に、彼はレポートをくれるだろう。
僕は今からそれを待ちきれないでいる。