2010/03/01  解禁日は工事中

「全然釣れないよ・・」、浮かぬ顔で餌釣り師が言う。
彼は夜明けのバックウォーターから釣り上がり、青藤橋の下で僕と会った。
解禁日を心待ちにし、おそらくは期待を寄せて家を出たに違いない。
しかしここは丹沢中流域、放流が無ければ満足な釣果など望めないのだ。
「がんばってください」と声をかけると、彼は振り返らぬまま軽く手を上げた。



布川の堰堤で若いルアーマンを見つけた。
背後からキャスティングを眺めていると、僕に気づいてしきりに照れている。
「調子はどうですか?」と聞くと、嬉しそうにヤマメの画像を見せてくれた。
さっきの餌釣り師が粘った、その直後に同じ場所でヒットさせたそうだ。
「やったね〜、ルアーの勝ち!」と言うと、満面の笑みでうなずいてくれた。
その青年は千葉から来たと言う。
「千葉には渓流がないんです・・」
それなら僕の知っている丹沢の楽園に案内しようと考えたが、
「1匹釣れれば満足です」と言うので、ここから先を彼に任せて僕は一人楽園に向かった。




林道沿いの至る所で工事が行われている。
鳥の鳴き声、風のささやき、そして水の落ちる音を楽しみながら釣りをしていると、
時折走る工事車両がすべてをかき消してしまう。
深瀬に顔出す大岩のえぐれ、そのギリギリを何度も通す。
白泡の下にミノーを落とし込み、ヒラリと舞い上げる。
さらにヒラキの横からタダ巻きでゆっくり引いてみる。
持ち合わせているだけのテクニックを駆使するが何も釣れない。
途方に暮れて天を仰ぐと、遥か上流にブルトーザーが見えた。



崖を削ってコンクリートを流し込み、山深い渓流の大工事が行われている。
当然のことながら周囲には動物の気配はなく腰の熊鈴もむなしい。
しかし、建築現場を越えた辺りから渓は少しずつ活気を帯びてきた。
18センチクラスが元気にミノーを追ってくる。
小さな落ち込みの端ギリギリに投げ、ヨロヨロと頼りなくリトリーブ。
すると流木の下から黒い巨影がぬぅ〜っと上がってくる。
「でかい!」
そいつの鼻先にミノーを舞わせ、ツンツンと刺激する。
するとガツン!
気がつけばまるまると太ったイワナが足元で跳ねていた



「一匹釣れれば満足です」、千葉の青年と同じような気持ちになった。
山を下って工事現場まで戻る。
ミキサー車の中では運転手がコミック雑誌を読んでいた。
その昔、高層ビルやハイウェイなど、そのほとんどが漫画の世界であった。
しかし現在の人類は宇宙ステーションまで建設してしまう。
「こんな山奥に凄いものを作るなぁ」
僕は巨大な構造物に改めて感動する。
ただ、この楽園の状況をあの千葉の青年に見せたいとは思わない。
あれから彼はどうしただろう。
いつか再会することがあれば一緒に釣り歩きたい。
それまでに美しい新たな楽園を見つけておこう。